フローレンス・ナイチンゲール氏のメンターとは?「白衣の天使」の由来となった人物

フローレンス・ナイチンゲール

[引用] http://www.theschoolrun.com/

フローレンス・ナイチンゲール

看護師のことを「白衣の天使」といいますが、
これはフローレンス・ナイチンゲール氏に由来することを知っていますか?

亡くなってから100年以上経つ今でも、ナイチンゲール氏を心から慕い、尊敬し、彼女のようになりたいと毎年多くの看護師が世界中で誕生しています。

近代看護教育の母であり、社会起業家であり、統計学者としても有名だったナイチンゲール氏。

彼女の活躍は幼少期の教育にあったと言われています。

ナイチンゲール氏は非常に裕福な両親のもと、フィレンツェで生まれ、誰もが羨む高水準な教育を受けてきました。

そのため、フランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語、英語など多数の語学を身につけ、ギリシャ哲学や数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、地理、心理学、文学などにも精通していました。

このように才能溢れる彼女が、なぜ、看護師という職業を選んだのでしょうか。

それは、慈善訪問で、貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにしたことに起因するようです。

ナイチンゲール氏の貢献で最も有名なのは、クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革です。

その貢献への敬意から、今では5月12日の彼女の誕生日を国際看護師の日としています。

[引用] www.pinterest.com

ナイチンゲール氏のキャリアは?

ナイチンゲール氏の看護師のキャリアはロンドンから始まりました。 無給からスタートし、婦人病院長にまで登りつめたナイチンゲール氏は、イギリス各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護婦の必要性を訴えました。

当時、看護婦は、病院で病人の世話をする単なる召使として見られており、専門知識の必要がない職業と考えられていたのです。

そして、クリミア戦争が勃発し、彼女に転機が訪れます。ナイチンゲール氏は自ら看護婦として従軍する決意を固めるのです。彼女は、シスターや職業看護婦を多数率いて、後方基地に向かったのでした。

そこで目の当たりにしたのは、兵舎病院の不衛生さです。彼女たちは、まず便所掃除から始め、衛生状態の改善に全力を注ぎます。その結果、2月に約42%あった死亡率が、4月に14.5%、5月に5%と、急速に好転していったのです。

ナイチンゲール氏のその働きぶりから、当時、「クリミアの天使」と呼ばれ、そこから看護師たちを「白衣の天使」と呼ぶようになったと言われています。

ナイチンゲール氏は戦後、今後は統計学を駆使して近代看護教育を確立していきます。そのため、イギリスでは、ナイチンゲール氏を統計学の先駆者としているほどです。

ナイチンゲール氏に大きな影響を与えたメンター、サミュエル・ハウ博士

p216-3

[引用] https://en.wikipedia.org

このように、世界的に有名になっていったナイチンゲール氏ですが、その彼女の人生に大きな影響を与えたメンターこそ、サミュエル・ハウ博士でした。

ナイチンゲール氏が看護師の世界に足を踏み入れることを決断したのは、アメリカの社会事業家で、医者であるハウ博士との出会いがあったからでした。

彼女が24歳の時、父親をたずねてきたハウ博士に、看護師になって人の苦しみを救いたいと相談したのです。

すると博士は、
「あなたが看護師になることが自分にあっていると思うなら、その道を進みなさい。
神様はあなたをお守りくださるでしょう。」と励ましました。

これを聞いたナイチンゲール氏は、目を輝かせ、今度は母親にどうしても看護師の勉強をしたいと告げました。

しかし、母親は、看護師とは身分のいやしい女がなるものだと考えていたため、大反対でした。母親だけでなく、家族全員にどうしても理解してもらえないナイチンゲール氏は、想いを一旦自分の心の中にしまい込みましたが、ハウ博士の言葉と心に決めた望みは、どんなときも忘れませんでした。

そして、再びヨーロッパに旅行する機会が訪れた時、彼女は真っ直ぐに病院をおとずれ、看護師としての技術を学んだといいます。

もう一人のメンター、イギリスの政治家で貴族であったシドニー・ハーバート氏

p216-4

[引用] https://en.wikipedia.org

もう一人、ナイチンゲール氏には、看護師人生に大きな影響を与えた人物がいます。イギリスの政治家で貴族であったシドニー・ハーバート氏です。

ナイチンゲール氏がイタリアへ旅行した時、ローマでハーバート氏と知り合いました。ハーバート氏は熱心なクリスチャンで、イギリス政府の大臣を務めたこともあり、貧しい人や働く人たちの福祉を改善しようと考えている人でした。

そんなハーバート氏と知り合ったことも、ナイチンゲール氏にとって、看護師になる決心を後押ししたと言われています。

この時以来、ナイチンゲール氏の生涯を通して、ハーバート氏は、良き協力者であり、良き相談相手となっていきました。

クリミア戦争後、ナイチンゲール氏は当時政治家であったハーバート氏の支援を得て、ロンドンの慈善病院で働き始めます。 そして、入院している人のための食事リフト、それぞれの階にお湯を通すパイプ、患者が看護師をよぶ「ナースコール」など、さまざまな改革を進めていくのです。

彼女が理想としていたことを現実化することができたのも、ハーバート氏というメンターがいたからこそなのです。

女性が活躍できる場を切り開き、女性としての地位を高め、世界に大きな貢献をしたナイチンゲール。

ふたりのメンターとの出会いが彼女の人生を大きく変えたように、あなたもメンターを見つけることで、人生が180度変わるかもしれません。

出典

http://www.theschoolrun.com/
https://jp.pinterest.com/
https://en.wikipedia.org

フローレンス・ナイチンゲール