世界中で最も有名なひとり、スティーブ・ジョブズ氏にもメンターがいた

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[引用] http://www.asahi.com/

ビジネス界のカリスマ、スティーブ・ジョブズ氏

成功者のメンターに焦点を当て掘り下げていく連載。第1回目は、世界中で最も有名なひとりで、ビジネス界のカリスマ、スティーブ・ジョブズ氏についてです。あなたがご存知のように、アップル社を創業し、追放され、招聘され、最期は膵臓ガンで亡くなるという波乱万丈な人生を送りました。

共同創業者として、スティーブ・ウォズニアック氏/経営面でのメンター、マイク・マークラ氏

永遠のカリスマとなったジョブズ氏ですが、彼もひとりで成功を収めたわけではありません。共同創業者として、スティーブ・ウォズニアックという有能なエンジニアがいました。同時に、アップル社の最初の投資家であり上席役員であったマイク・マークラ氏は、ジョブズ氏の経営面でのメンターとして支えてきました。

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[引用] http://www.digibarn.com/

シリコンバレーの多くのリーダーから「コーチ」と呼ばれたビル・キャンベル氏

また、シリコンバレーの多くのリーダーから「コーチ」と呼ばれたビル・キャンベル氏もジョブズのメンターのひとりです。ジョブズ氏とキャンベル氏はパロアルトの近所同志で、ジョブズ氏はしばしばキャンベル家を訪ね、バックヤードのプールサイドに座ったりしていました。ジョブズ氏は1997年のアップル社復帰後すぐに、プールサイドのベンチに行って、キャンベル氏の横に腰かけ、「アップルの取締役になってくれないか」と言ったそうです。

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[引用] http://www.macobserver.com/

テレビゲーム産業を創出した企業の創設者ノーラン・ブッシュネル氏

さらに、パドルでボールを打ち合うピンポンゲーム「ポン」を作り出し、テレビゲーム産業を創出した伝説の企業、アタリの創設者であるノーラン・ブッシュネル氏もジョブズ氏のメンターでした。若き日のジョブズ氏はアタリにみせられ、「面接をしてくれるまで帰らない」と座り込み40の社員になったという逸話も残っているほどです。

ブッシュネル氏は無名のジョブズ氏を社員として雇い入れ、才能を開花させ、ジョブズ氏がアップルを創業した後もアタリのパーツを販売したり、技術的な支援を行なったりして、生涯、師と慕われた人です。

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[引用] http://www.gamebusiness.jp/

スティーブ・ジョブズ氏には日本人のメンターもいた

そういった、ビジネス面でのメンターたちの他に、ジョブズ氏には、日本人のメンターもいました。その方の名前は乙川弘文さんといい、曹洞宗(禅宗)のお坊さんです。

ジョブズ氏は、禅に興味があり、乙川さんから禅を学んでいたようで、彼からみて、この人こそ自己超越している人だと思えたようです。ビジネスに直結している教えを乞うことはなかったとしても、後にiPhoneとなるような製品の開発は、このメンターの教えから得たヒントがあったと言われています。

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[引用] http://foo164.livedoor.biz/

このようにジョブズ氏の成功には多くのメンターの存在があり、メンターたちもまた、こうした魅力的なメンティーからエネルギーを得ていたのかもしれません。

【出典】

ジョブズ氏 朝日新聞社「アップル社のトップページがジョブズ氏を追悼するもの」 http://www.asahi.com/
マイク・マークラ氏とジョブズ氏 http://www.digibarn.com/
ビル・キャンベル氏 http://www.macobserver.com/
ノーラン・ブッシュネル氏 http://www.gamebusiness.jp/
乙川弘文氏 http://foo164.livedoor.biz/

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